プロ野球選手のその後(ケン・モッカ)

ケン・モッカ(パイレーツ→中日→メジャー監督)
2007 / 09 / 01 ( Sat ) 09 : 08       【New】ゴルゴkageショッピング

ランディーバース、クロマティー、、数々の最強外人と言われた中、

僕が尊敬する外人選手の一人、ケン・モッカがいる。

ケン・モッカ(Kenneth Edward Macha, 1950年9月29日 -)は、
アメリカペンシルベニア州出身のプロ野球選手、メジャーリーグ監督。
ピッツバーグ大より1972年のドラフトでパイレーツより、6巡目の指名を受け入団。


パイレーツ時代のケン・モッカ

その後エクスポズ、ブルージェイズを経て、1982年、中日ドラゴンズに入団。
3番サードとして中日在籍4年間のうち、3回3割を越える打率を残し、円熟期の田尾安志・平野謙・谷沢健一・大島康徳・宇野勝・中尾孝義らとともに、 
恐竜打線と呼ばれる打線の一員として活躍する。      


1982年中日優勝の立役者の1人であり、シーズン終盤の読売ジャイアンツとの壮絶なデッドヒートの最中には、中日ナインに「最後まで絶対に諦めるな」と檄を飛ばし続けた。

1985年引退。選手・ファンからも信望が厚く、引退試合では選手から胴上げされた助っ人外人としても有名。今でも中日ファンから最も愛された助っ人外人として度々名前が挙がる。

当時、僕はモッカと上川のサインをもらったが、そのとき、モッカからサインをもらおうと人ごみの中、走ってたら転んでしまったのだが、

モッカは手を貸してくれ、ついでにサインをしてくれたんだぞ!

余談ではあるが、マリナーズのイチローも少年時代に中日で活躍していたモッカからサインをもらっている。

更に、モッカは

乱闘は必ず一番で止めに入った外人選手でもある!

やっぱり、ファンから最も愛された助っ人外人として名前が挙がるのもわかる。

それから数10年が過ぎ、テレビでメジャーを見てたら、、どうも見覚えがある顔がアップで映った・・

そう。あのケン・モッカだったのだ! 


どうもアスレチックスのヘッドコーチをしてたらしい。。 
しかも、それはイチローのメジャーデビューの試合だ。

後で調べると、イチローは試合前にモッカにちゃんと挨拶をしてたらしい。

いや〜〜ダブルの感動だったねぇ〜〜

2003年からオークランド・アスレチックスの監督をつとめる。

3年契約終了後の2005年のオフシーズンには再契約が難航し一時は退団が発表されるが、
その後契約合意がなされ2006年からも指揮をとることとなった。しかし、この年、3年ぶり自身2度目の地区優勝の好成績を上げながら解任された。

この影響で、同年の日米野球ではMLBチームの指揮を取ることが予定されていたが、
レッドソックスのテリー・フランコナ監督に代わると発表された。

2003年にも東京ドームで予定されていたシアトル・マリナーズとのMLB開幕戦がイラク情勢の悪化で中止となってしまったため、結局監督として来日する機会を2度も失ってしまうこととなった。

残念!!もう

実際の発音は「モッカ」というよりは「マッカ」なのだが、「真っ赤」と読まれるのを嫌った球団が本人の同意のもとで「モッカ」と登録。

麻雀を覚えたりしてチームになじんだ。(こういうエピソードは他にも将棋を覚えたランディ・バースのような例もある。)

真弓明信(中日での現役時代、ヒッティングマーチが同一であった)

2003年は新人監督モッカが日本でイチローを先頭バッターとして迎える。
このことについて、2003年3月18日のA'sのwebページに次のような記事が載っていた。

その上でモッカは次のように言っている。

"I think he had a glove with my signature on it, too. But he was making a lot of errors with it, so he stopped using it."
”イチローは、俺のサイン入りグローブを使ってるようだが、エラーが多いと聞くから、そのグラブを使うのを辞めたほうがいいな”


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